蓮實重彦 雑誌掲載記事


・雑誌掲載記事
雑誌名 記事名
ちくま 2024年5月 些事にこだわり  第19回 「本は売らないとたまるね」という中村光夫の名言、もしくは迷言の真実味について、実地に確かめてみるとどうなるか 20240501
群像 2024年3月 インタビュー ミシェル・フーコー『The Japan Lectures』をめぐるインタビュー  70年代の日本知識人との対話などをまとめた『The Japan Lectures』が刊行された。フーコーは日本といかに出会ったのか。 20240301
群像 2024年3月 批評 散文は生まれたばかりのものである――『ボヴァリー夫人』のテクストに挿入された「余白」についての考察  小説と呼ばれる散文のテクストの孤児性、そして『ボヴァリー夫人』の「多数の余白」の謎に迫る。フローベール生誕200年を迎えての記念国際シンポジウムの講演を初活字化。 20240301
ちくま 2024年3月 些事にこだわり  第18回 ロシアのハッカー集団による電子装置の乗っ取りと韓国の若者による「パロディアス・ユニティ」の回顧上映の企画とは、刺激的という意味で驚くほどよく似ていた 20240301
ちくま 2024年1月 些事にこだわり  第17回 久方ぶりに烈火のごとく怒ったのだが、その憤怒が快いあれこれのことを思いださせてくれたので、怒ることも無駄ではないと思い知った最近の体験について 20240101
ちくま 2023年11月 些事にこだわり  第16回 20231101
ちくま 2023年11月 些事にこだわり  第16回 20231101
新潮 2023年10月 午後の朝鮮薊  伯爵夫人が姿を消してから三年。奔放な従妹は娘を遺してこの世を去り、その姉が童貞・二朗の前に現れた。戦火の下の鮮烈なエロス! 20231001
ちくま 2023年9月 些事にこだわり  第15回   二十一世紀の日本の首都に於ける超高層ビルの林立はその国の凋落を予言しているように思えてならない 20230901
ちくま 2023年7月 些事にこだわり  第14回   重要なのは「マイナ・保険証一本化」への賛否などではなく「マイナ」という醜悪な語彙を口にせずにおくことだ 20230701
新潮 2023年5月 追悼 山根貞男 アルコール・ランプの揺らめく炎とともに  20230501
ちくま 2023年5月 些事にこだわり  第13回 「科学技術」という言葉を耳にしたら、およそいい加減な話だと確信して、黙って聞き流せばよい 20230501
文學界 2023年5月 ある寒い季節に、あなたは戸外で遥か遠くの何かをじっと見すえておられた  20230501
ちくま 2023年3月 些事にこだわり  第12回 20230301
新潮 2023年2月 弔辞 映画作家吉田喜重を追悼する  20230201
文學界 2023年2月 喜重さんは「驚かせる」ことが得意な方だった  20230201
ちくま 2023年1月 些事にこだわり  第11回 パソコンの故障は、この電子装置への感性的な執着をより強固なものとしてくれたのだろうか 20230101
文學界 2022年11月 追悼 ジャン=リュック・ゴダール  映画作家ゴダールは、その「特権性」を晴れやかに誇示しながらこの世界から姿を消した 20221101
文藝春秋 2022年8月 <映画の愉楽> ジョン・フォードこの20本!  20220801
新潮 2022年6月 青山真治をみだりに追悼せずにおくために  20220601
ちくま 2022年1月 些事にこだわり  5  ノーベル賞が「些事」へと堕してしまう悲惨さについて 20220101
ちくま 2021年11月 些事にこだわり  4  「知恵の輪熊」の可愛らしさは誰にもわかるまい 20211101
群像 2021年10月 窮することで見えてくるもの――大江健三郎『水死』論――  文学だけがもたらす真の「窮境」とは何か。並はずれた傑作『水死』を射貫く批評。 20211001
ちくま 2021年9月 些事にこだわり  3 「頑張ろう」などと口にするのはそろそろ止めにすべきではなかろうか 20210901
文學界 2021年9月 作品論 グラフィティに救われて  20210901
ちくま 2021年7月 些事にこだわり  2 マイクの醜さがテレビでは醜さとは認識されることのない東洋の不幸な島国にて 20210701
ちくま 2021年5月 些事にこだわり  1 オリンピックなどやりたい奴が勝手にやればよろしい 20210501
文學界 2021年4月 ジョン・フォード論 終章 フォードを論じ終えぬために  翻るエプロンの白さが性差の境界線を崩壊させる。著者のライフワーク、完結! 20210401
群像 2021年2月 ショットとは何か〔5〕  これこそがまさにショットである。映画と世界をめぐる思考の冒険がここに完結。 20210201
群像 2020年9月 ショットとは何か  20200901
文學界 2020年9月 ジョン・フォード論  第一章-III-3 歌が歌われ、踊りが踊られるとき 20200901
群像 2020年8月 ショットとは何か  20200801
文學界 2020年8月 ジョン・フォード論  第一章ーーⅢ‐2 雨と鏡 20200801
群像 2020年7月 ショットとは何か  第 2回 20200701
文學界 2020年7月 ジョン・フォード論  第一章ーーⅢ そして人間 20200701
群像 2020年5月 ショットとは何か  蓮實批評の特権的概念である「ショット」とは何か? 映画と世界をめぐる思考のはじまりを探究する巨大連載始動。 20200501
文學界 2020年5月 学生服姿の古井由吉──その駒場時代の追憶  20200501
文學界 2020年4月 ジョン・フォード論 第一章-II 樹木  フォードは、「太い木の幹の誘惑」に屈しうる感性の持ち主だけにキャメラを向ける──驚くべき映画批評 20200401
文學界 2020年1月 ジョン・フォード論 第一章-I 馬など  フォード論は、人間ではなく、あくまで馬について語ることから始まる----ライフワークたる映画批評の始動! 20200101
文學界 2019年12月 ジョン・フォード論 序章 フォードを論じるために  いま、思いのままにフォードを語るとはどういうことか。著者のライフワークたる批評が始動する 20191201
群像 2019年9月 貴女のためなら何でもするぞとまたしても口にしそうだ  20190901
文學界 2019年6月 昭和最後の日、あなたは何をしていましたか?  令和来て昭和は遠くなりにけり? 20190601
新潮 2019年5月 平成の終焉――何が生まれ何が消えたのか  「元号」などというものは適当に無視しておけばよい 20190501
新潮 2019年2月 「ポスト」をめぐって――「後期印象派」から「ポスト・トゥルース」まで  Postの一語に秘められた殺戮と延命の両機能。嘘臭いこの時代を撃つ、白熱の東大講演録! 20190201
2019年1月 ある民主的な辞典について  20190101
群像 2018年10月 大震災で映画と出会った男       ープロデューサー城戸四郎ー  一九二八年のモスクワの街に、日本人が大挙して現れる。歌舞伎の初海外公演がソ連邦の首都で行われる。そのなかに松竹の名プロデューサーがいた。 20181001
新潮 2018年10月 選ぶことの苛酷さについて――濱口竜介監督『寝ても覚めても』論  「類似」の「反復」に囚われたひとりの女性 ――日本映画の“第三の黄金期”が幕を開ける! 20181001
群像 2018年8月 同時代の大江健三郎  私たちはいかに大江健三郎とともに生きてきたのか。二人の文学者がその偉大さを余すところなく語りあかす。『大江健三郎全小説』刊行開始記念対談。 20180801
2018年5月 素晴らしきものへの敬意  20180501
群像 2018年1月 パンダと憲法  20180101
文學界 2017年6月 「最愛の子ども」論 とりとめのないなまめかしさについて  20170601
新潮 2016年7月 【受賞作】  伯爵夫人(一部掲載) 20160701
新潮 2016年4月 [長篇三〇〇枚] 伯爵夫人  伯爵夫人とは何者なのか。寝台の上の淫蕩な戦士? 戦火の預言者? 映画めいた世界の均衡を揺るがす、驚嘆すべき小説家の登場! 20160401
IN★POCKET 2016年3月 講談社文芸文庫 私の一冊  03回 20160301
文學界 2016年2月 追悼 原節子  まだ十五歳でしかない彼女の伏し目がちなクローズアップの途方もない美しさについて ──山中貞雄監督『河内山宗俊』 20160201
文學界 2015年11月 カンヌ受賞作『岸辺の旅』をめぐって 幽霊が演じるメロドラマ  20151101
群像 2015年7月 「曖昧さ」について――『「ボヴァリー夫人」論』を例として  20150701
新潮 2015年7月 愚かさに対するほとんど肉体的な厭悪  つつましさとあつかましさを兼ね備えた作家はいかに現代小説の可能性を切り開くのか? 20150701
新潮 2015年7月 大江健三郎・古井由吉『文学の淵を渡る』  20150701
文學界 2015年5月 映画三狂人、アメリカ映画を大いに語る  「アメリカン・スナイパー」ほか 20150501
群像 2014年12月 映画時評  最終回 20141201
群像 2014年11月 映画時評  第71回 20141101
群像 2014年10月 映画時評  第70回 20141001
群像 2014年9月 映画時評  第69回 20140901
文學界 2014年9月 フローベールの『ボヴァリー夫人』をめぐって  ─珊瑚樹と晴雨計の置かれた天井の低い部屋について─ 20140901
群像 2014年8月 映画時評  第68回 20140801
新潮 2014年8月 姦婦と佩剣  十九世紀のフランス小説『ボヴァリー夫人』を二十一世紀に論じ終えた老齢の批評家の、日本語によるとりとめもないつぶやき 20140801
群像 2014年7月 映画時評  第67回 20140701
文學界 2014年7月 【特別鼎談】 “生れたばかりの散文”と向き合う  フィクションを読むことの困難と喜びをめぐる、構想四十五年の大著の核心 20140701
群像 2014年6月 映画時評  第66回 20140601
群像 2014年5月 映画時評  第65回 20140501
群像 2014年4月 映画時評  第64回 20140401
群像 2014年3月 映画時評  第63回 20140301
群像 2014年2月 映画時評  第62回 20140201
文藝 2014年2月 どこで切っても何とつなげてもいい――言説のリゾームを語る 蓮實重彦×千葉雅也 痛切なる切断の書を読む  ――『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』をめぐって 20140201
群像 2014年1月 映画時評  第61回 20140101
群像 2014年1月 T・ハンターの視界からの消滅  20140101
新潮 2014年1月 【250枚】 『ボヴァリー夫人』論 「序章 読むことの始まりに向けて」  「I 散文と歴史」   散文は昨日生まれたもの(フローベール)。永遠の「事件」としての名作を読み尽くし、驚くべき「テクスト的な現実」を発見する。45年がかりのライフワークを先行部分掲載。 20140101
群像 2013年12月 映画時評  第60回 20131201
群像 2013年11月 映画時評  第59回 20131101
群像 2013年10月 映画時評  第58回 20131001
群像 2013年9月 映画時評  第57回 20130901
群像 2013年8月 映画時評  第56回 20130801
群像 2013年7月 映画時評  第55回 20130701
群像 2013年6月 映画時評  第54回 20130601
群像 2013年5月 映画時評  第53回 20130501
群像 2013年4月 映画時評  第52回 20130401
文學界 2013年4月 小説、散文、フィクション──フローベールをめぐって  「かのように」のフィクション概念に関する批判的な考察 ── 『ボヴァリー夫人』を例として    20130401
群像 2013年3月 映画時評  第51回 20130301
文學界 2013年3月 受賞記念対談  「abさんご」という時限爆弾 20130301
群像 2013年2月 映画時評  第50回 20130201
群像 2013年1月 映画時評  第49回 20130101
群像 2012年12月 映画時評  第48回 20121201
文學界 2012年12月 「橋」の悲劇──トニー・スコット讃  20121201
群像 2012年11月 映画時評  第47回 20121101
群像 2012年10月 映画時評  第46回 20121001
群像 2012年9月 フローベールの『ボヴァリー夫人』――フィクションのテクスト的現実について   20120901
群像 2012年9月 映画時評  第45回 20120901
IN★POCKET 2012年9月 「夏目」といえば  20120901
群像 2012年8月 映画時評  第44回 20120801
群像 2012年7月 映画時評  第43回 20120701
群像 2012年6月 映画時評  第42回 20120601
群像 2012年5月 映画時評  第41回 20120501
文學界 2012年5月 「握力」の人  20120501
群像 2012年4月 映画時評  第40回 20120401
群像 2012年3月 映画時評  第39回 20120301
新潮 2012年3月 創る人52人の2011年日記リレー  20120301
群像 2012年2月 映画時評  第38回 20120201
群像 2012年1月 映画時評  第37回 20120101
群像 2011年12月 映画時評  第36回 20111201
群像 2011年11月 映画時評  第35回 20111101
群像 2011年10月 映画時評  第34回 20111001
群像 2011年9月 映画時評  第33回 20110901
群像 2011年8月 映画時評  第32回 20110801
群像 2011年7月 「混沌」から「透明」へ   20110701
群像 2011年7月 映画時評  第31回 20110701
群像 2011年6月 過ぎ去った時をまた呼び戻す   台湾を代表する世界的映画監督に名シーンの秘密を聞く 20110601
群像 2011年6月 映画時評  第30回 20110601
群像 2011年5月 映画時評  第29回 20110501
群像 2011年4月 映画時評  第28回 20110401
群像 2011年3月 映画時評  第27回 20110301
群像 2011年2月 映画時評  第26回 20110201
群像 2011年1月 映画時評  第25回 20110101
群像 2010年12月 映画時評  第24回 20101201
群像 2010年11月 映画時評  第23回 20101101
群像 2010年10月 映画時評  第22回 20101001
群像 2010年9月 映画時評  第21回 20100901
群像 2010年8月 映画時評  第20回 20100801
群像 2010年7月 映画時評  第19回 20100701
群像 2010年6月 映画時評  第18回 20100601
群像 2010年5月 対談 『ピストルズ』と形式性の追求  壮大なる巨編に隠された秘密とは? フィクションのリアリティー、言葉の限界を語る 20100501
群像 2010年5月 映画時評  第17回 20100501
群像 2010年4月 映画時評  第16回 20100401
新潮 2010年4月 随想  第15回 連載完結 20100401
群像 2010年3月 映画時評  第15回 20100301
新潮 2010年3月 随想  第14回 20100301
群像 2010年2月 映画時評  第14回 20100201
新潮 2010年2月 随想  第13回 20100201
文學界 2010年2月 女優という謎  『女優 岡田茉莉子』刊行を記念して行われた蓮實氏の講演と岡田氏との対談 20100201
群像 2010年1月 映画時評  第13回 20100101
群像 2009年12月 連載 映画時評  第12回 20091201
新潮 2009年12月 ■連載評論・エッセイ 随想  (十二) 20091201
群像 2009年11月 連載 映画時評  〔11〕 20091101
新潮 2009年11月 ■連載評論・エッセイ 随想  (十一) 20091101
群像 2009年10月 連載 映画時評  〔10〕 20091001
新潮 2009年10月 ■連載評論・エッセイ 随想  (十) 20091001
群像 2009年9月 連載 映画時評  〔9〕 20090901
新潮 2009年9月 ■連載評論・エッセイ 随想(九)  20090901
群像 2009年8月 連載 映画時評  〔8〕 20090801
新潮 2009年8月 ■連載評論 随想  (八) 20090801
群像 2009年7月 連載 映画時評  〔7〕 20090701
新潮 2009年7月 連載 随想  第7回 20090701
群像 2009年6月 連載 映画時評〔6〕  20090601
新潮 2009年6月 連載 随想  (六) 20090601
群像 2009年5月 連載 映画時評〔5〕  20090501
新潮 2009年5月 連載 随想  (五) 20090501
文學界 2009年5月 鼎談 徹底解剖 クリント・イーストウッド、あるいはTシャツに口紅  新作『グラン・トリノ』を中心に最高のメンバーが78歳の映画作家のすべてに迫る 20090501
群像 2009年4月 連載 映画時評  〔4〕 20090401
新潮 2009年4月 連載 随想  (四) 20090401
群像 2009年3月 連載 映画時評  〔3〕 20090301
新潮 2009年3月 連載 随想  (三) 20090301
群像 2009年2月 連載 映画時評  20090201
新潮 2009年2月 連載 随想(二)  20090201
群像 2009年1月 新連載 映画時評①  現代において映画を観るとはどういうことか? 20090101
新潮 2009年1月 新連載エッセイ 随想  文学の国籍をめぐるはしたない議論のあれこれについて 20090101
・蓮實重彦の小説で関連するインタビュー・書評・レビューの記事(参考)
雑誌名 記事名
群像 2022年10月 『ジョン・フォード論』蓮實重彦  20221001
群像 2022年8月 三宅さん、ショットとはいったい何なんでしょうか?   三宅 唱×蓮實重彦  蓮實批評の鍵概念=ショットをめぐって繰り広げられる、真摯で自由な対話。 20220801
新潮 2022年8月 蓮實重彦『ショットとは何か』  20220801
文學界 2022年7月 蓮實重彦『ショットとは何か』  20220701
2019年1月 ある民主的な辞典について  20190101
群像 2016年9月 『伯爵夫人』蓮實重彦  20160901
文學界 2016年9月 蓮實重彦『伯爵夫人』  20160901
2016年7月 情欲と戦争  20160701
群像 2016年5月 「伯爵夫人」蓮實重彦  20160501
群像 2016年5月 「伯爵夫人」蓮實重彦  20160501
群像 2016年5月 「伯爵夫人」蓮實重彦  20160501
群像 2015年8月 『映画時評 2012-2014』蓮實重彦  20150801
群像 2010年11月 『随想』蓮實重彦  20101101
新潮 2010年11月 蓮實重彦『随想』  20101101
群像 2009年3月 書評 映画と出会い損ねた男の救いがたき「孤独」を描くフィクション  『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』蓮實重彦 20090301