文藝春秋 |
2023年10月 |
問題作『オッペンハイマー』を観て来た
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20231001 |
一冊の本 |
2022年9月 |
無力さから出発する
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20220901 |
文藝春秋 |
2022年5月 |
ハラリと落合陽一 ―シンギュラリティ批判―
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20220501 |
新潮 |
2022年1月 |
嘘つきにも詐欺師にもならずに――『一般意志2・0』について
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20220101 |
新潮 |
2021年9月 |
記念エッセイ2
旅に学んだ
八甲田と失敗
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20210901 |
文藝春秋 |
2021年3月 |
「自由」を制限してもウイルスは消えない
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20210301 |
新潮 |
2021年1月 |
今年117年目の文芸誌 [特別原稿]
わかることと知ること
『メノン』について
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20210101 |
群像 |
2020年7月 |
考えることを守る
批評はこれからどうなるのか。危機のなか語る「文学者の使命」。
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20200701 |
新潮 |
2020年1月 |
アクションとポイエーシス
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20200101 |
文學界 |
2019年5月 |
【選評】
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20190501 |
文藝 |
2019年5月 |
ロングエッセイ
平成という病
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20190501 |
新潮 |
2019年1月 |
悪と記念碑の問題
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20190101 |
文藝 |
2018年11月 |
高橋源一郎『今夜はひとりぼっちかい?』
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20181101 |
文藝春秋 |
2018年8月 |
五回目のチェルノブイリ
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20180801 |
文學界 |
2018年5月 |
選評
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20180501 |
新潮 |
2018年1月 |
ゲンロンと祖父
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20180101 |
群像 |
2017年11月 |
東 浩紀×加藤典洋「私と公、文学と政治について」
私から公は生まれるのか、文学から政治は語れるのか。中間項のフィールドとしての社会=世間がなくなった今、我々は何を指標に生きるべきか。『現代日本の批評 1975-2001』刊行を前に行われた哲学的示唆に富んだ大型対談。
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20171101 |
文藝春秋 |
2017年10月 |
旬選ジャーナル
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20171001 |
新潮 |
2017年8月 |
ポスト・トゥルース時代の現代思想
トランプ勝利、EU崩壊で「新世界無秩序」が急加速する今、思想家が担うべき役目とは何か? 現代の重要問題を縦横無尽に論じる!
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20170801 |
群像 |
2017年5月 |
批評家が書く哲学書
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20170501 |
小説トリッパー |
2016年6月 |
第一期、総代発表!
対談 東浩紀+佐々木敦
批評を再起動するために
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20160601 |
小説トリッパー |
2016年6月 |
特別寄稿 講師陣による課題と回答
ポスト昭和はどこにあるのか
昭和の亡霊、終わりなきリズム
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20160601 |
すばる |
2015年12月 |
ロシア的ミステリー私小説への挑戦
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20151201 |
パピルス |
2015年6月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20150601 |
新潮 |
2015年4月 |
現代思想の使命
ソ連崩壊。大震災。オウム事件。シャルリー事件。IS問題。激動する世界の中、資本主義と工学主義に抗して〈知〉は何を示し得るか?
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20150401 |
一冊の本 |
2015年4月 |
震災は無数のコロを生み出した
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20150401 |
パピルス |
2015年2月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20150201 |
SFマガジン |
2015年1月 |
Selection and Commentaey
最終選考委員選評
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20150101 |
パピルス |
2014年12月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20141201 |
パピルス |
2014年10月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20141001 |
新潮 |
2014年9月 |
原発事故のあと、哲学は可能か
哲学と原子力の関係を起点に、議論は無限に広がった。西欧型思考と脳の限界、メタファと贈与の力、日本の未来像へ。記念碑的対話。
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20140901 |
文學界 |
2014年9月 |
文学の未来とフクシマ
ポスト3.11の文学と思想の針路を探る、白熱の四時間
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20140901 |
文藝 |
2014年8月 |
時よ止まれ
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20140801 |
パピルス |
2014年8月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20140801 |
SFマガジン |
2014年7月 |
NO. 568 2003.8
計算の時代の幻視者
フーコー、ディック、イーガン
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20140701 |
SFマガジン |
2014年7月 |
トークイベント完全採録
「SFと復興――小松左京から考える」
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20140701 |
新潮 |
2014年6月 |
「フクシマ」は思想的課題になりうるか
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20140601 |
パピルス |
2014年6月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20140601 |
こころ |
2014年6月 |
100人が綴る「私の思い出の一冊」
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20140601 |
文學界 |
2014年5月 |
創作の極意と文学の諸問題
『聖痕』に続き創作指南を著した作家に批評家が文学の未来を問いかける。刺激的な対談
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20140501 |
パピルス |
2014年4月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20140401 |
新潮 |
2014年3月 |
福島第一原発「観光」記
あえて遊歩者(フラヌール)として原発内を「観光」する。福島の未来のために。
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20140301 |
SFマガジン |
2014年1月 |
Selection and Commentary
最終選考委員選評
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20140101 |
パピルス |
2013年12月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20131201 |
パピルス |
2013年6月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20130601 |
パピルス |
2013年2月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20130201 |
パピルス |
2012年12月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20121201 |
パピルス |
2012年10月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20121001 |
パピルス |
2012年4月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20120401 |
新潮 |
2012年3月 |
創る人52人の2011年日記リレー
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20120301 |
パピルス |
2012年2月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20120201 |
パピルス |
2011年12月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20111201 |
パピルス |
2011年10月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20111001 |
パピルス |
2011年8月 |
インタビュー
評論家に戻る気は一切ない、本気です
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20110801 |
パピルス |
2011年8月 |
取材記
彼の都 飛鳥・吉野へ
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20110801 |
パピルス |
2011年8月 |
パラリリカル・ネイションズ
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20110801 |
本 |
2011年4月 |
一般意志2.0
未来社会の設計
最終回
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20110401 |
本 |
2011年3月 |
一般意志2.0
動物性から公共性へ
第14回
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20110301 |
本 |
2011年2月 |
一般意志2.0
憐れみの海へ
第13回
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20110201 |
本 |
2011年1月 |
一般意志2.0
動物と人間のラジカルな逆転
第12回
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20110101 |
本 |
2010年12月 |
一般意志2・0
抑制力としての大衆の呟き
第11回
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20101201 |
本 |
2010年11月 |
一般意志2・0
理知主義の限界を超える
第10回
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20101101 |
本 |
2010年9月 |
一般意志2.0
小さな公共をまとめる大きな無意識
第9回
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20100901 |
文藝 |
2010年8月 |
救済装置としての「小説」の可能性
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20100801 |
本 |
2010年8月 |
一般意志2.0
熟議とデータベースが補いあう社会
第8回
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20100801 |
新潮 |
2010年7月 |
【受賞作】
クォンタム・ファミリーズ(一部掲載)
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20100701 |
新潮 |
2010年7月 |
【記念エッセイ】
現実はなぜひとつなのだろう
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20100701 |
新潮 |
2010年7月 |
[討議]
東浩紀の11年間と哲学
『クォンタム・ファミリーズ』から『存在論的、郵便的』へ
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20100701 |
本 |
2010年7月 |
一般意志2.0
無意識を可視化する装置
第7回
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20100701 |
本 |
2010年6月 |
一般意志2.0
政府2・0
第6回
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20100601 |
パピルス |
2010年6月 |
Interview My Reason
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20100601 |
本 |
2010年5月 |
一般意志2.0
「総記録社会」の誕生
第5回
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20100501 |
文學界 |
2010年4月 |
なんとなく、考える
第二十回 固有名について
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20100401 |
文學界 |
2010年3月 |
なんとなく、考える
第十九回 第二作について
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20100301 |
本 |
2010年3月 |
一般意志 2.0
政治とはなにか
第4回
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20100301 |
文學界 |
2010年2月 |
なんとなく、考える
第十八回 ツイッターについて
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20100201 |
本 |
2010年2月 |
一般意志2.0
コミュニケーションなき政治
第3回
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20100201 |
新潮 |
2010年1月 |
情報革命期の純文学
劇的に加速する高度情報化社会に純文学は耐えられるのか? 文学と批評の若きエース達の初対談。
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20100101 |
文學界 |
2010年1月 |
【新年特別対談】
日本をすっきりさせるために
閉塞状況を打破するためにいま必要なものは何か―― 二〇〇〇年代を象徴する二人による、ラジカルかつ壮大な対話
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20100101 |
本 |
2010年1月 |
一般意志2.0
差異の和
第二回
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20100101 |
文學界 |
2009年12月 |
連載評論
なんとなく、考える
第17回 「朝生」について
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20091201 |
本 |
2009年12月 |
[新連載] 一般意志2.0
夢を語る思想
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20091201 |
文學界 |
2009年11月 |
連載評論
なんとなく、考える
第十六回 仕切り直し
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20091101 |
文學界 |
2009年10月 |
連載評論
なんとなく、考える
第十五回 書くことについて(2)
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20091001 |
文學界 |
2009年9月 |
連載評論
なんとなく、考える
第十四回 動物化について(1)
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20090901 |
新潮 |
2009年8月 |
〈連載完結〉
ファントム、クォンタム
(第八回)
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20090801 |
文學界 |
2009年8月 |
連載評論
なんとなく、考える
第十三回 書くことについて
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20090801 |
新潮 |
2009年7月 |
ファントム、クォンタム(第七回)
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20090701 |
文學界 |
2009年7月 |
連載評論
なんとなく、考える
第十二回 アシモフについて
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20090701 |
文學界 |
2009年6月 |
連載評論
なんとなく、考える
第十一回 ルソーについて(三)
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20090601 |
文學界 |
2009年5月 |
連載評論
なんとなく、考える
第十回 ルソーについて(二)
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20090501 |
新潮 |
2009年4月 |
ファントム、クォンタム
(第六回)
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20090401 |
文學界 |
2009年4月 |
連載評論
なんとなく、考える
第九回 ルソーについて(一)
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20090401 |
文學界 |
2009年3月 |
連載評論
なんとなく,考える
第八回娯楽性について(二)
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20090301 |
新潮 |
2009年2月 |
連作
ファントム、クォンタム
(第五回)
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20090201 |
文學界 |
2009年2月 |
評論
なんとなく,考える
第七回娯楽性について(一)
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20090201 |
文學界 |
2009年1月 |
評論
なんとなく,考える
第六回現実感について
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20090101 |